新しい・お墓のデザイン・出会いと別離の物語 by 丸谷博男

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2010年 04月 13日

私の父が他界してから2年になろうとしています。

2010年4月13日気持ちのよい朝に。一言。

福岡の記念碑(墓)ができましたので、ようやく父と我々一家の墓のデザインに取りかかります。
福岡のように広いスペースではないので、東京型の未来系の墓をつくります。
イメージはできています。
きっと、驚くようなシンプルな墓になります。
お楽しみに!(笑)
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by ohakadesign | 2010-04-13 09:15 | ♫最新の仕事
2010年 04月 13日

断絶退路

ある青年の話です。
青年はある女性と知り合い 恋に落ち 愛を深め合います。
それからどれだけ時間が経ったか。
しかし、突然 別れの時が来ました。
別れを知らせるものはありません。
ただ冷たく 絶対的なものとして 突然来るのでした。
絶望、奈落、暗黒、無、、、、

青年は幸せだった彼女との時間と空間を思い出します。
その時間に戻ろうとします。恐ろしい今という現実には居たくありません。
温かい過去という時間に想いを馳せるのです。
しかし、時間はまた過ぎて行くのです。

あまりにも辛い。あまりにも恐ろしい。
だから、忘れようとするのです。時間を過ごすのを避けようとするのです。
青年は、酒に溺れようとしました。眠りの世界に限りなく入ろうとしました。
しかし、時間はまた過ぎて行くのです。
目覚めもあるのです。

彼女との一緒の時間に たとえ戻っても もうそこには彼女はいないのです。
遥か先に彼女の心と体は行ってしまっているのです。
後ろ姿も探すことはできないのです。
探している自分も、そこは過去ではなく今日の自分なのです。

失った家族も同じです。その家族が死んだ時点で、時間は別離をつくるのです。
お互いに、二度とそこに戻ることはできません。

青年は少し勇気を思い出します。
彼女からかかっててくるかもしれない携帯電話に未練を待つのではなく、それを捨て、明日に向かう一歩を踏み出します。
過去は過去。何人も二度と戻ることのできない時間と空間です。

人間にとっての時間。それは太陽時間です。明と暗、太陽と星・月。
なぜか、毎日どんなに悲しくても、嬉しくても、眠りが来るのです。
そして明日が来るのです。朝が来るのです。

宇宙のそれぞれに異なる時間があるはずです。
地球は地球の時間があります。
太陽がいて、地球の自転があって、地軸の傾きもあって、たまたまの時間があります。
無数の時間。星の数だけの時間が宇宙にはあるのです。
でも、宇宙時間もあるはずです。絶対的な。それは無限。という計り知れないものかもしれません。

時間と人生。向き合って行くしかありません。
なにを思うが何も思うまいが。

その青年にも、人間という不思議な 運命という時間を越えた縁はあります。
それぞれの時間と空間にいても、再び何処かで彼女と出会う時が来ることも縁です。
二度と来ないのも縁です。それは幸福でも不幸でもありません。
常に人生は時間と共にあるのです。

生きて行くということは、刻々と 時と空間を違えているのです。
一緒にいると思っても、お互いに異なる時間と空間を過ごしているのが真実です。
だから近くに寄り添う共感があるのです。一瞬であっても。
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by ohakadesign | 2010-04-13 08:35 | ♡出会い・別離・愛・死
2010年 04月 12日

一番はじめの模型

この模型をつくるまでに考える時間がたくさんありました。
はじめは、二つの物体に隙間をつくり、モニュメントにしようと思いました。
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by ohakadesign | 2010-04-12 11:35 | ❏お墓のデザイン・福岡
2010年 04月 11日

丸谷博男のブログをご紹介します。

丸谷博男 hiroo maruya

Arts and Architecture
■株式会社エーアンドエーセントラル&j-sense東京   
〒155-0033東京都世田谷区代田3-48-5
梅ヶ丘アートセンター
tel03-5431-6030 fax03-5431-6031
■j-sense札幌
〒065-0013 札幌市東区北13条東1丁目1-10
tel011-826-5080 fax011-826-5081
■j-sense福岡
〒810-0031 福岡市中央区谷 1-12-36 木香庵
tel080-6536-9240

Email h.maruya@a-and-a.net

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by ohakadesign | 2010-04-11 23:22 | ☎リンク・問合せ先
2010年 04月 11日

日本の墓の歴史 その2/お墓sosのホームページより

■原始時代の墓

日本のお墓の歴史は、旧石器時代に地面に穴を掘って遺体を埋めただけの簡単なものから始まりました。 
縄文時代、弥生時代と時代が進むにしたがって、人々に身分の格差や弔いの文化が生まれ、お墓の形式も変化していきます。

■縄文時代の墓

縄文時代の集落遺跡を発掘すると、集落の入り口付近や、集落(村)から港に通じるメインストリートの両脇に、埋葬スペースがあるそうです。 
また、小さな子供や赤ちゃんの遺体は住居のすぐ側に埋葬されていました。
まだ死を「穢れ」と考える思想が大陸から入ってくる前、日本人は、死者をずっと身近に、自分達と共に生きるものとして考えていたことが窺えます。 
もしかすると、神様になって自分たちを守ってくれるものと考えていたのかもしれません。
縄文時代には、遺体を埋葬した場所(お墓)に特別な盛り土をしたり、印をつけるようなことは行われていませんでした。「誰々家のお墓」「何々家のお墓」のように、お墓を区別するのではなく、お墓を集落(村)全体として考える文化があったのでしょう。

■弥生時代の墓

弥生時代になると、身分の高い人を副葬品とともに簡単な棺に納めて、盛り土をした墳丘墓に埋葬することも行われるようになります。一般の庶民も、盛り土は無しですが、お棺に遺骨を納めるようになってきます。
死者がいつまでも生者と一緒にいるわけではなく、「死後の世界」のようなものがあると考える文化の芽生えではないでしょうか。
しかし、お墓の位置は相変わらず集落の入り口です。 
集落(村)への出入りのたびに、お墓に向かい合い、礼拝しながら日々暮らしたのではないかと言われています。

■中世の墓

中世の武士の世になると、質素さを好む禅宗が仏教の中心となり、鎌倉後期〜室町時代にかけて中国から位牌と戒名の習慣も伝えられます。

■近世の墓

江戸時代初め、キリスト教禁教のために檀家制度が制定され、庶民も含めた全ての人が仏教寺院の檀家として組織されました。神道のお家でも、神仏習合と言って当時の神道と仏教は一つでしたから、まさに全日本人がお寺に所属し、仏教式のお墓を建てるようになったのです。

■近代の墓

明治時代に入ると、仏教と神道が明確に区別されるようになり、神道は国家神道として再編されました。それに伴って、神道式のお墓・お墓参りの儀式などが改めて作られました。また、キリスト教を初めとする他の宗教が日本に入ってきて認められたのもこの時期で、キリスト教式のお墓も作られるようになってきました。

■現代の墓

第二次世界大戦後、身分制度が無くなり、個人主義が浸透した現代日本では、宗教にとらわれない斬新なスタイルのお墓(デザイン墓)が脚光を浴びています。一方で、人口増加と都市圏への一極集中に伴って墓地不足も深刻となり、永代供養墓や納骨堂形式のお墓も増えてきました。 
また、戦前のような家督制度が無くなったため、友人同士・兄弟姉妹同士など、以前では考えられなかった組み合わせでお墓を共有することも珍しくなくなってきています。
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by ohakadesign | 2010-04-11 11:56 | ❏お墓のデザイン・日本
2010年 04月 11日

日本の墓の歴史 その1

日本石材産業協会のホームページより
http://www.japan-stone.org/qa/index.html#pos1

■お墓の歴史ー1

スツーパの話:スツーパというのはインド語で、塔という意味です。それが中国に入って卒塔婆と音訳され、やがて塔婆となり、さらに略されて塔となリました。いま私たちが使っている石塔の塔という言葉はインド語なのです。また木で作られた塔婆供養の塔婆も同じことです。つまり石塔を作って供養をするということは、インドから仏教が伝わってくるのといっしょに日本に入ってきたことを示しています。
また供養塔は、最初は文字通り塔の形をしていて、現在の棹型のものではありませんでした。スツーパがはじまりだったことで判る通り、宝塔がもとの姿にいちばん近いものです。スツーパを源にして、そのあと宝篋印塔や五重塔や卵塔が創り出され、日本特有の墓の型とされる五輪塔もスツーパにおさめた仏舎利の瓶の姿に似せて造り出されたものとされています。
現在いちばん多い角柱型の石塔は、長い時代を通して創造されてきたものですが、中国の位牌型の石碑に影響されている点が多いと思われます。
石碑つまり石塔は、その伝わってきたかたちを見てもわかるとおり、仏教との縁が深いわけですが、何のために石碑を建てるのかというと、昔と今とでは少しずつ変化してきているように思えます。といいますのは、昔は仏を供養し、その功徳によって死者が成仏するという考え方に立っていましたが、今では、仏を通り越して、死者だけを中心に置き、仏・法・僧の三宝を敬うことを忘れがちになっています。
釈迦が亡くなって、弟子や信者たちが造った塔(スツーパ)は、必ず仏舎利(釈迦のお骨)がおさめられています。それは仏を敬うためにそうしたものなのです。
仏教の言葉のなかに六波羅密という言葉があり、それは信者が実践しなければいけない行いとして六つのことをあげているのですが、その中に「布施」というのがあります。仏や僧に布施する心が成仏への一つの道だったのです。お墓を建てる心には、そういう昔からの布施の心を忘れずに持っていたいものだと思います。

■お墓の歴史ー2

古墳について:古墳は日本古来の埋葬のありかたです。しかし、古墳ときくと、天皇や豪族の築いた大きいものをすぐ思い浮かべます。たしかに古墳は大きいものが多いことは事実ですが、お墓であることには間違いないのです。

『古事記』のなかに"黄泉(よみ)の国"のことを書いた神話があります。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の話ですが、昭和の初めに生まれた方は戦前かならず耳にしていてよくごぞんじだと思いますが、二人の国造りの神さまの夫婦愛と古墳のことをよく想像させるエピソードなのでとリあげてみます。

二人の夫婦の神は、日本の国土を生んだり、山や海を治める神を生んだりして国造りをしていきますが、いろいろの神を生むうちに火の神を生みます。妻の伊邪那美は火の神を生んだために、それがもとで火傷を負い、病に臥して、やがて亡くなります。その妻の屍を出雲の国と伯伎(ほうき)の国の境の比婆山に埋葬します。
それから幾日かが経ちますが、それでも伊邪那岐命は妻の命のことが忘れられず、死者の国である黄泉の国へ訪ねていきます。そして、
「まだ国造りは終っていないから、もう一度かえってくれ」
といいます。
「黄泉の国の神に相談しますから、しばらく待っていて下さい」
と伊邪那美は答えます。
が伊邪那岐命は待ちきれずに、「さし戸」をあけて中に入ります。 するとそこには蛆(うじ)がたかって見るかげもない妻の姿があり、頭から足先まで雷(いかずち)がとリついています。命は驚いて黄泉の国から逃げかえります。

この神話は、埋葬する者の心と、古墳のありかたをよく伝えていると思います。
「さし戸」というのは、古墳の横穴への入口に設けれた石か土の蓋のようです。
古墳ときくと奈良・大和とすぐ思い浮かべますが、北は岩手県から南は鹿児島まで広い地域にあります。それに大きさもさまざまです。親戚縁者や地域ぐるみで力を合わせて造ったものもあるようです。死者への思いと葬る心は、墓の歴史とともに生きています。

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田村石材のホームページよりttp://www.tamuseki.co.jp/rekisi.htm

日本における最初の墓石は「千引石」(ちびきいわ)と言われています。
神話によると、千引石は「道反の大神」(みちかえしのおおかみ)とも言われ、女神イザナミの死後、彼女がこの世に出てくるのをさえぎって、もと来た黄泉の国へ追い返す役目を果たすべく、イザナギが千人でやっと引き動かす事のできるほどの大きな「千引石」であの世との出入り口を塞いだとされています。
また、イザナミとイザナギが千引石をはさんで「事戸(決別)を渡す」シーンは、現在のお墓参りでの「亡き故人との対話」の原点となっています。

縄文時代の遺跡では、青森県の三内丸山遺跡があります。この遺跡では道幅15メートルの道の両側に2列に並ぶ約100基の集団土坑墓が発見されました。5千年前の道幅15メートルの道ですから、おそらくは当時のメインストリートであった事と思われます。生活に密着した重要な道の両脇にお墓を作ったという事は、縄文時代からすでに死者を敬い、大切にしていたということになります。
弥生時代の遺跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡では、北九州一体に特有の埋葬法である「甕棺」(かめかん)が2千基以上も出土し、2列になった列状墓群がみつかり、古墳時代の原型とみられる墳丘墓が列状墓群の北側にありました。これらは集落の中にあり、居住区から北側に列状墓群、更に墳丘墓、そして出入り口、そこから道が続いていました。当時の集落の人々も三内丸山遺跡の人々と同様に死者を敬い、大切にしていたと考えられます。

やがて仏教が伝来し国家仏教として確立するころになると遺体や遺骨は「死穢(しえ)」(けがれたもの)とされ都市部から排除されていきました。続く平安末期から鎌倉時代には浄土思想に基づいて死者を供養する観念が形成されます。この頃、真言宗中興の祖・覚鑁上人(かくばんしょうにん)は密教と浄土の同一性を説き代表作「五輪九字明秘密釈」を書き上げます。この原理・理論から「五輪塔」が生まれました。

江戸時代、徳川幕府がキリシタン禁圧のため、百姓、町人の全てをいずれかのお寺の檀家になることを強制しました。(宗門人別帳)これ以降、仏教、お寺と日本人の距離が近づきました。
「死」をお寺が葬儀という形で担うようになったのもこれと密接な関係があると言われています。

明治維新以降、国家神道の確立とともに祖先祭祀が道徳的基礎として位置付けられます。明治民法では「家制度」を定着させる為、墳墓(墓地)は祭祀財産として家督相続の特権とされました。これにより、ひとつのお墓に何人も(親類)が入る「家族の墓」が一般的になりました。
明治以前は財力のある商人や武士を除き庶民は山に遺棄したり、河や海に流すのが普通でしたが、伝染病予防法が制定され火葬が普及し始め、やがて墓地(墳墓)は公衆衛生面や都市計画の観点から国家による法的な規制を受けるようになりました。

そして現在の日本では多くの宗教、宗派が存在し、葬送の多様化、核家族化、により「家墓」の存続が難しくなってきました。また、都市部では墓地の不足に伴い土地が高騰しお墓を建てるのが困難になってきています。中には納骨堂への安置、散骨による自然葬など、お墓そのものを拒絶する傾向もあります。

日本人が数千年前の古来より死者を大切にし、お墓に埋葬して供養する。この歴史を振り返り、いま一度お墓の重要性について見直す必要があるかもしれません。

■自然葬について

平成3年「葬送の自由をすすめる会」会員によって相模灘で散骨(同会では環境を守る視点から自然葬と呼びます)が行われました。
遺骨遺棄罪や墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)の問題も、法務省や厚生省の見解では「節度をもって行われる限り問題は無い」と発表し、今では会員の数も増えてきています。
ただ、法務省のこの見解は墓埋法が施行された昭和23年当時の世相では散骨(自然葬)の概念が無い時代ですのでそれに対するガイドラインが定められていません。散骨は許可されているわけではなく容認せざるをえないといった状況のようです。

自然葬は海と山で行われ、遺骨を粉末状にして撒きます。海では環境問題に配慮しお供えも花びらのみとしています。山では会に賛同する個人、法人の所有する山林(土地)で行われます。
しかし、将来的にその土地を転売せざるをえない状況になったときや、その土地の周辺住民や周辺農家などの反対など、問題は残されています。自分の意志を通す為に他者への配慮が欠けてしまう事は道徳上からも好ましい事とはいえません。

生き方の延長線上として個人の意思を尊重した考えですが、残された遺族が「心のよりどころ」としてお墓を求めるケースもけして少なくありません。

■ 散骨禁止条例についての記事平成17年3月17日


山林などで焼いた遺骨をまく「散骨」を罰則付きで禁止する条例が16日、北海道長沼町議会で賛成多数で可決、成立した。散骨について規定する法律はなく、条例での規制は全国でも珍しい。施行は5月1日。
 条例は、ごみの投棄などとともに、墓地以外での焼骨の散布を禁止。(1)散布した違反者で町の措置命令に従わなかった者は2万円以下の罰金または拘留、もしくは過料(2)散骨の場所を提供した業者は6月以下の懲役または10万円以下の罰金としている。
 長沼町では昨年春、散骨業者が私有地の山林で木の根元に散骨する「樹木葬」事業を始め、9月に1件を実施。近隣の農作物への風評被害を懸念した住民らが反対運動を続けていた。
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by ohakadesign | 2010-04-11 11:49 | ❏お墓のデザイン・日本
2010年 04月 11日

韓国の墓事情

韓国旅行「コネスト」韓国旅行情報とソウルの今をお届けのホームページより

韓国人の75%が墓地への埋葬を好んでいるが、これは儒教文化の影響である。韓国では朝鮮時代から儒教の影響が強く、いまだに残っている。最近、人口の急激な増加とともに、墓地問題が深刻化し、死んだ人の墓地どころか、今生きている人々が生活する土地さえないということである。
 
韓国人は、なぜこんなに墓地に執着しているのか。
韓国には昔から“風水地理”という土地の気運を重視する学問が発達していた。昔の人々は風水地理により家や墓地を決めた。気運のいいところに、家を建てたり、墓地を決めたりすると事業が成功し、子孫が繁栄すると信じられてきたのだ。(たとえば、今の金大統領の場合、先祖の墓地をうまく決めたから、大統領になれたという話もある)。
 
アンケートによれば韓国国民の80%以上が風水地理を信じている。しかし、正しい風水地理の知識を持っている人は少ない。(風水学は元来古代中国で生まれた。その奥深い理致は東洋哲学に基づいていて、宇宙の道理を悟ることができないと風水学を理解することができない。)

風水地理に対する厚い信仰により、韓国人たちは火葬よりも墓地への埋葬を好む。最近、ある市民団体は韓国全国が巨大な墓地と化する前に、火葬文化を定着させるため、活発に署名運動を繰り広げている。
700年以上も前の朝鮮時代から発達した墓地文化が、一朝一夕に変わることは不可能であっても、火葬文化に対して、関心を持つ人々も少しずつ増えつつある。
 
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by ohakadesign | 2010-04-11 10:53 | ❏お墓のデザイン・アジア
2010年 04月 10日

墓とは何か? タイランドの墓

http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/Bochi.htmより

タイ人の約95%は仏教徒、それも上座部仏教(小乗仏教)である。
タイ人の墓を見たいと言ったら、ある人はタイでは金持ちを除いて墓は無いと言い、ある人は墓に連れて行ってやると言った。どちらも正しいと思われる。
これらは寺院の敷地内にある火葬場である。3日、5日又は7日の間、寺院の霊安所に安置された遺体は左の写真にある台車に乗せられて正面の火葬場に向かう。
右上の写真の手前にある仏塔で最後の別れをした遺体はその奥で火葬され、その灰は仏塔の地下に埋葬される。
遺族は茶碗一杯の灰を自宅に持ち帰る。従って、墓がないともいえるし、この仏塔が墓ともいえる。


裕福な人は、持ち帰った灰と生前の写真とを寺院内にある仏塔の中や仏像の下に納める。
仏塔や仏像の基部には、陶板に焼き付けられた多数の写真が並んでいる。多分、これらは、陶板は永遠の美を保つと考える中国系タイ人の墓であろう。

金持ちは、共同の仏塔ではなくて、寺院に建てられた自前の仏塔に収められる。これらはタイ東北部で見かけた墓であり、バンコクでは地価が高いために、自前の仏塔を見かけることはない。




タイでも、キリスト教徒は火葬をせずに、埋葬される。
左はタイ東北部で見かけたキリスト教徒の墓である。
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by ohakadesign | 2010-04-10 12:04 | ❏お墓のデザイン・アジア
2010年 04月 10日

バラエティに富むベトナムの墓

http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/Bochi.htmより

ベトナムは、近隣諸国からの多くの宗教の影響を受けている。仏教(大乗仏教)、道教、儒教という中国から伝わった3つ宗教の信者が最も多いとともに、キリスト教の信者も多数いるが、キリスト教、仏教、道教及び儒教が統合された新しい宗教もある。従って、墓の構造もバラエティに富む。

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by ohakadesign | 2010-04-10 11:55 | ❏お墓のデザイン・アジア
2010年 04月 10日

原始的な韓国の墓

韓国は、国民の約25%がキリスト教徒で、約23%が仏教徒で、約半数が無宗教である。 
韓国では経済的に豊かな人は、墓地となる山を入手して、この山を一族又は家族の墓地とするが、最近では墓地の入手が次第に困難になってきたため、共同墓地が開発されている。下の写真は共同墓地である。

下の写真から分かるように、韓国では土葬であって、穴を掘って遺体を埋め、その跡に土を盛り上げ、誰の墓であるかが分かるように墓標を建てる。
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■韓国の墓地 火葬、納骨…激変に驚き (2007/06/28)

韓国といえば、土まんじゅうの土葬墓が一般的だったが、先日、韓国で墓地を視察し、その激変ぶりに驚いた。

 韓国の火葬率は、一九九一年には17・8%だったが、2000年の「葬事等に関する法律」の改正で、火葬や納骨の普及が国や地方自治体の責務であることが明示された結果、2005年には53%と過半数を占めるまでに増加した。この背景には、深刻な土地不足がある。

 とはいえ、韓国の土葬文化は「風水的に良い場所に肉親の墓を建てると子孫が繁栄する」という価値観に基づいており、李氏朝鮮時代からの長い歴史がある。肉親の遺体を火葬することには、かなりの抵抗があったはずだ。

 これほど急速に火葬が普及した理由は、タレントや政治家などの有名人が積極的に火葬誓約運動に参加し、自分が死んだときには火葬するという意思を表明したことにある。日本で活躍したプロレスラーで、昨年死亡した金一(日本名は大木金太郎)さんも早々と火葬誓約をしており、宣言通り、荼毘(だび)にふされた。

 しかし、納骨堂や火葬場が次々に建設された結果、自然破壊が新たな問題として浮上した。

 昨年九月、法律が再び改正され、火葬した遺骨を樹木、花草、芝生などに埋めるか、まくという自然葬制度の導入が盛り込まれた。ソウル市には、すでに「追憶の森」と銘打つ散骨公園がある。樹木葬公園を設置する計画も進んでいるという。

 土葬、納骨、散骨・自然葬という変革は、国家主導にせよ、人々の死生観を短期間で大転換させた点で、とても興味深い。

小谷みどり(第一生命経済研究所主任研究員)氏の葬送nowより
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/sousou/11261.html

■土葬から火葬へ 変わりゆく韓国の葬儀 2005年12月09日 asahicomより

「あの山のところに見える、土饅頭(まんじゅう)みたいなのはなに?」
バスや鉄道で日本人の友達と地方に旅行すると、このような質問をよく受けます。韓国では地方に行くと、山々の中腹に小さな土饅頭が連なっている風景がよく見られますが、これは、韓国の伝統的な墓の姿です。日本では火葬が一般的ですが、韓国では遺体をそのまま埋葬する、いわゆる「土葬」が一般的です。一人ずつ土を盛って封墳をつくって埋葬し、その前に碑石を建てます。韓国語ではお墓のことを「墓所(ミョソ)」または、山に墓があることから「山所(サンソ)」と呼びます。

「土葬」は、儒教思想と風水地理思想が支配的だった李氏朝鮮時代から主流となり、今日まで韓国人の生活に深く影響を与えている慣習です。宗教によって葬礼の手続きが少しずつ異なりますが、ここでは広く普及している儒教的な慣習による葬礼手続きについて説明しましょう。

 現在では、儒教の「朱子家礼(※高麗末期に中国の宋から伝わった礼書)」による複雑な手続きは簡素化されています。まず、葬礼は人が亡くなって3日目に土葬する「3日葬(サミルチャン)」が一般的です。以前は自宅で葬礼を行うことがほとんどでしたが、現在では、病院の葬式場や、葬儀専門の式場で行うことが多くなっています。特に都市部でその傾向が強く、たとえ自宅で亡くなっても病院などの葬式場で行うことが多い一方、地方ではいまだに自宅で行うところも少なくありません。最近、都市部では葬式場や墓など、葬礼全般をサポートいる葬儀業が登場し、新しいビジネスとして関心を集めています。

 死亡後、24時間以内に入棺をしますが、実際は死亡後2日目に入棺することが多いようです。入棺時に故人の体を洗い、自然繊維の麻布でつくった「寿衣(スイ)」を着せます。韓国では、60歳を過ぎたらこの寿衣を用意するという習慣があります。生が終わった人に着せる最終の衣服である「寿衣」をあらかじめ準備しておくのは、死を「生の終わり」ではなく、「新しい生の始まり」ととらえる韓国人の来世観からきています。また、寿衣を用意しておいたら無病長寿したという話もあり、子どもが親に寿衣を用意してあげるのが孝行の一つともされているのです。寿衣を用意するのに適している時期もあり、その時期になると寿衣がよく売れます。寿衣はその質により、値段もかなり違うようです。

 入棺が終わったら、家族は喪服(通常、男性は黒い洋服に喪章をつけ、女性は白のチムチョゴリに、髪に小さい白いリボンをつける)を着ます。それから弔問客を受けるのが一般的なので、多くの場合は故人が他界した日から2日後に弔問することが多いのです。

 韓国の葬式に行くと、「アイゴ〜、アイゴ〜」と嘆き悲しんでいる声が聞こえるかもしれません。「哭(ゴッ)」あるいはなくなった人に対する悲しみを表すことから、「哀哭(エゴッ)」ともいいます。以前は、喪家では昼夜問わず「哭」の泣き声が止むことはありませんでした。「哭」が上手な人をわざわざ呼んで、「哭」をさせたりもしたといわれています。昔ほどではありませんが、今でも「哭」の泣き声は韓国の葬式ではよく耳にします。けっして泣き叫ぶことはせず、堪え忍ぶように悲しみを表す日本の葬礼とはまったく違う姿だと言えますね。

 弔問に訪れたら、自分の宗教の式に則って拝礼をします。もっとも一般的な儒教に則った拝礼方法は、故人に向けて香をあげて二礼し、次に喪主に向かって一礼して弔問のあいさつを述べます。弔意金は弔問のあいさつが終わったら、受付または弔意金を入れる箱に入れます。弔意金の封筒には「謹弔」「追慕」「弔意」などの言葉とともに、自分の名前と故人との関係がわかる職場名などを書きます。また、弔意金とともに自分の名前と所属などを書いた弔花を送ったりもします。弔花は白い菊の生花がほとんどです。その後、用意された料理をいただきながら、故人について語り合います。ユッケジャンのような辛いスープとご飯、おかずが2〜3種、おつまみやモチなどの料理のほか、お酒などの飲み物が供されます。

 弔問客の中には、喪家がさびしくならないようにその場にとどまって夜を明かす人もいます。喪家で夜通し花闘(花札)をする姿は韓国の葬儀ではよく見られる光景です。少額のお金を賭けることもあり、ごくまれにケンカに発展することもありますが、たいていは静かに夜明けを迎えます。

 3日目の朝、埋葬地に向かいます。埋葬地はたいてい、住宅地からは離れている場所にあります。家門の先山(祖先の墓があるところ)がある場合には先山に、あるいは墓地公園に行きます。土を掘って棺を納め、その上から土を盛って封墳をつくり、祭祀(さいし)をあげます。これで「三日葬」が終了します。

 埋葬という葬礼文化は、風水地理思想と、死体を毀損することができないという儒教的な思考と、「孝」の思想とが結合して定着したものです。韓国では、明堂(風水的に“吉”となる場所)を探して墓をつくって「孝」を行うことにより、子孫代代が栄えるのだと言われてきました。仕事がうまくいかなかったり、家によくないことが起こったりすると、「先祖の墓の場がよくないせいではないのか」と、韓国人がよく言うのは、このことに由来しています。このような価値観は、長い間、韓国人の生活に根付いてきました。火葬をすることは親不孝だとみなし、避けて来たことは事実です。

 けれども最近では、このような認識にも変化が見え始め、土葬が主流であった葬礼文化が変わりつつあります。そのきっかけとなったことのひとつに、このままの状態で墓地が増え続けると、いずれ韓国全土が死者のために埋め尽くされてしまいかねないという問題が浮上してきたことがあげられます。

 このことにより、これまでの葬礼文化を変える必要があるという意識を急速に高めることになりました。火葬を奨励する市民運動なども数年前から起こり、最近では火葬をする人が徐々に増加しています。また、それに伴って納骨堂や土饅頭を模した納骨堂、家族納骨堂などの新しい葬礼施設も定着しています。

 年輩の方の中には依然として土葬を望む人が多いようですが、これまでと比べると、火葬に対する拒否感は薄くなりつつあり、今後は火葬が少しずつ確実に増加すると予想されています。日本でもかつては土葬が主流だったと聞きましたが、どのように火葬に変化してきたのでしょうか? 今でも土葬にこだわっている人はいないのでしょうか? お葬式アドバイザーとして、講演や執筆活動をなさっている尾出安久さんに聞いてみました。

「日本の火葬率は現在99.7%と世界一です。100%にならないのは、離島での死亡者が必ずしも火葬ではないためです。火葬の歴史は、仏教が輸入された奈良時代までさかのぼりますが、庶民の火葬が一般的に行われるのは江戸時代になってから。徳川幕府による寺請制度が日本人全員を仏教徒にしてしまったため、人口も多く、寺院も多かった都市部で火葬が進みました。寺院内に荼毘(だび)所を持つところもあり、江戸郊外にも荼毘所がありました。さらに、明治政府が公衆衛生の見地から火葬を勧めたこともあり、戦前にはほぼ現在の火葬の形態ができあがっていたようです。戦後は、高度成長にともなう墓所不足も手伝って火葬率も上がり、もう土葬は特殊な事情がない限り許可がおりません。個人的ですが、昭和50年に千葉県の親戚の葬儀を土葬で経験しました。故人の娘が役場を泣き落とした結果ですが、今考えると貴重な経験をしました」(尾出安久)

 なるほど、日本は火葬先進国だったのですね。もし韓国の葬儀文化に興味のある方は、韓国人の伝統的な葬儀を題材にした映画『祝祭』(イム・グォンテク監督、日本版DVD有り』と、『学生府君神位』(パク・チョルス監督)をおすすめします。

協力:尾出安久(おいで・やすひさ)
1956年生まれ。國學院大學文学部史学科卒業。1級葬祭ディレクター(厚生労働省認定)。葬儀を文化として考え、人間らしい葬儀を提案するアドバイザーとして講演・執筆活動を行っている。著書に『葬儀屋さんの打ち明け話』(成美堂出版)、『葬儀屋さんの胸の内』(朝日ソノラマ)など。http://www.k-word.co.jp/
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by ohakadesign | 2010-04-10 11:44 | ❏お墓のデザイン・アジア