新しい・お墓のデザイン・出会いと別離の物語 by 丸谷博男

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カテゴリ:❏お墓のデザイン・世界( 6 )


2010年 04月 10日

イタリア式お墓参り  by sicilia_trapani | 2008-11-03 06:13 | シチリア日記 |より

11月2日、イタリアでは「Festa dei Morti」という祝日。「死者の日」と言うこの祝日、お墓参りに行くのが習慣です。トラーパニの墓地付近も、多くの道が封鎖され、墓地付近だけものすごい交通渋滞でした。私は今年、とある理由からドミンゴ家のお墓参りに同行する事になり、初めての「イタリア風お墓参り」をしてきました。

イタリアでは墓地は大体Comuneにひとつ。(大きい都市ではComuneに2-3個あるところもあるようです。)例えば、トラーパニにひとつ、エリチェにひとつ、マルサラにひとつ、、、と言った感じです。ドミンゴ家はエリチェの墓地にあります。墓地近辺、通った事はあったけれど、考えてみたら中に入ったことは無かった私。興味津々。外には、日本同様「菊」お花を売る屋台が。

十字架がデザインされたオシャレなドアを開けて、墓地に入ると、、、。
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中は、こんな感じでした。小さなひとつひとつのお墓がたくさん。日本は「~~家」というようにファミリーでひとつお墓を持ち、そこの皆が入るのが習慣ですが、イタリアは一人一人、個人のお墓があります。この中に、棺が入っているそうです。

お墓はひとつひとつ、デザインが違います。家族の思いいれに寄って、マリア様が飾られていたり、キリストがいたり、、、両サイドにはお花を飾る為の入れ物が置いてあります。このゾーンは、比較的新しいお墓。お墓が各ファミリー毎ではないので、お花を持って親戚のお墓を次々に回っていきます。そして、お墓をキレイにしたり、お祈りを捧げたり、、、写真を載せているお墓が多いので、写真を見て懐かしんだり、一緒に過ごした日々を思い出したりするそうです。

こちらは古いほうのお墓。墓地は奥から古いお墓が並び、入り口に向けてどんどん新しいお墓を作っていくそうです。

お墓の価格は、エリチェでは1つ1000ユーロ~、だそうで、段によって価格が変わるそうです。
エリチェのお墓では1回購入すると、99年間ここに眠り続ける事ができるそうで、その後もっと同じ場所に置いておきたい場合には、再度購入するそうです。

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これは、重要なファミリーが眠るお墓。元貴族や領主など、地元の名士はこうして大きなお墓を立て、その中に家族のお墓を作ります。大きな場所と石が必要とされるため、非常に高価なお墓となるらしく、現在は新しくこうしたお墓を作るファミリーはほとんどいないそうです。
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by ohakadesign | 2010-04-10 11:29 | ❏お墓のデザイン・世界
2010年 04月 10日

タージマハル

タージ・マハル(英語: Taj Mahal, ヒンディー語: ताज महल, ウルドゥー語: تاج محل)は、インド北部アーグラにある総大理石造の墓廟建築。1632年着工、1653年竣工。1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

■概要

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。
名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名ムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。

■構造

基壇への入口付近
タージ・マハルを造るための建材は、インド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラージャスターン地方産であるといわれている。その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから持ち寄られたものだという。全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていた。
およそ580m×300mの敷地全体は塀で囲まれており、主に5つの要素から構成されている。赤砂岩で縁取られた南門(ダルワーザー)、正方形で幾何学的に分割されたムガル式四分庭園(バギーチャー)、西側のモスク(マスジド)、東側の迎賓施設(ミフマーン・カーナー)、そして高さ42mの4本の尖塔(ミナレット)を従える墓廟(マウソレウム)である。
マウソレウムは幅、奥行きとも約60m、中央のドームの高さも約60m、東西南北どちらから見ても同じデザインである。ミナレットとともに、100m角、高さ7mの基壇の上に載せられている。ペルシャ建築の影響が顕著であるが、インド的要素も散見される。ヨーロッパからも多くの宝石職人が呼び寄せられたため、一部にはバロック建築の影響も指摘されている。

■歴史

シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設した霊廟である。竣工してまもなく、シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に黒大理石を基調とした自身の墓廟の建設に着手した。計画では、川をはさんで白大理石と黒大理石の墓廟が並び、その間を大理石の橋で繋ぐ事になっていた。しかし、晩年の彼は息子のアウラングゼーブ帝によってアーグラ城に幽閉され、タージ・マハルを毎日眺めては涙を流して過ごしたと伝えられている。対岸には現在も整地された基底部が残っており、タージ・マハルの裏から渡し船で行く事ができる。
もっとも、その頃には隆盛を極めたムガル帝国の国庫も、度重なる建設事業により底をついていたという通説が流布されているが、後継者アウラングゼーブ帝が40年にわたって大規模な軍事侵攻を行い続け得たことからして、シャー・ジャーハン治世においてはムガル帝国の財政はそれほど窮乏してはいなかった、とみるのが妥当という説得力ある説も提示されている。死後はムムターズ・マハルの隣に葬ることを、アウラングゼーブ帝に認められたため、現在タージ・マハルには、シャー・ジャハーン帝とムムターズ・マハルの棺が並べて安置されている。
その後ムガル帝国の衰退とともに荒廃していったが、イギリス領インド帝国時代、19世紀末にインド副王となったカーゾン卿によって大規模な修復事業が行われた。
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by ohakadesign | 2010-04-10 10:42 | ❏お墓のデザイン・世界
2010年 04月 10日

Brion Family Cemetery by カルロ・スカルパ

webからの写真を集めてみました。
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by ohakadesign | 2010-04-10 08:55 | ❏お墓のデザイン・世界
2010年 04月 10日

イタリア霊園紀行 by Copyright(c) 霊園墓石のヤシロ 2007 All Rights Reserved.

http://www.yasiro.co.jp/blog/world.htmlからの引用です。

ヨーロッパ霊園視察旅行3ヶ国目イタリアでの2日目は、カルロ・スカルパという建築家がデザインしたブリオン・ベガ墓地です。この日も、雲ひとつない「ベニス晴れ」の一日でした。ブリオン・ベガ墓地は、ベニス本島から北へ車で2時間ぐらいのところにある、トレビゾという田舎町のサン・ヴィトーというところの町の墓地にあります。ここに眠るジョゼッペ・ブリオンという人は、ラジオ職人から一代でヨーロッパを代表する家電メーカーのブリオン・ベガ社を築いた人です。ポータブルテレビやラジオが有名で、これらの復刻版は、日本でも販売されています。ブリオン・ベガ墓地は、ジョゼッペが亡くなった後、妻のオノリーナが、当時、ヨーロッパで脚光を浴びていたカルロ・スカルパに依頼し、1969年に設計がはじめられました。

カルロ・スカルパは、1906年にベニスに生まれた人で、20歳の時に王立ベネチア美術アカデミーを卒業、ベネチア建築大学に就職しますが、実務経験不足などの理由で建築士資格を取得できず、ベネチアンガラスのデザイナーとしてスタートした異色の建築家です。スカルパの作品は、サン・マルコ広場にあるオリベッティーのショールーム(現在はギャラリー)やベネチア建築大学正門などが有名です。この後紹介するブリオン・ベガ墓地にも見られるように、ディテールと職人技にこだわったデザインが素晴らしい、私の大好きな建築家の一人です。

ブリオン・ベガ墓地へ続く田舎道は、ここでも天に伸びるような糸杉の並木が続いています。これは、前回紹介したお墓の島「サン・ミケーレ島」と同じです。イタリア人のお墓に対する心象風景のような気がします。サン・ヴィトーの町の墓地は、一見普通の墓地なのですが、中に入ってみると、まるでRC建築のモダンな家の玄関のようなブリオン・ベガ墓地の入口が、他のお墓と並んで建っていて、はっと息をのみます。でも、決して不釣り合いな突出したものには見えません。スカルパは、ブリオン・ベガ墓地をつくるとき、周辺の環境や他のお墓との調和を大切にしたそうです。


ブリオン・ベガ墓地は、ブリオン家一族のお墓なのですが、お墓というより庭園という方がぴったり来るようなつくりになっています。墓地への入口になっているエントランス棟は、天と地、太陽と月、男と女など、陰陽の象徴であり、中世キリスト教時代には信仰の対象となったシンボリックな二重の輪があります。この二重の輪は、礼拝堂など様々なところに使われています。墓地の中は、芝生広場・疎水・蓮池で構成されていて、その中に、ブリオン夫妻のお墓をはじめ、礼拝堂や一族のお墓などが美しく配置されています。ここまでくるとランドスケープと言っても過言ではありませんね。まるで、ひとつの庭園を見ているようでした。


驚いたのは、物凄く日本的なところです。蓮池もそうですが、その中にある中央に穴のあいた十字形の島のようなものは水琴窟なんです。疎水から蓮池に流れ込む水が、オーバーフローして穴の中に落ち、美しい音色を響かさせます。礼拝堂の横には、モミジが美しい赤い葉をつけ、きれいに刈り込まれたツゲの木の緑とのコントラストが、懐かしい日本の風景を彷彿とさせます。また、礼拝堂の内部には、日本の障子をイメージしたようなドアやどう見ても屏風に見える扉があります。礼拝堂の入口にある水栓(浄め水?)も二重の輪を取り入れてデザインされていますが、家紋のようでとても日本的です。それもそのはず、スカルパは、日本の美に物凄く影響されていて、日本に何度も訪れ滞在しています。そして、1978年11月に仙台で亡くなっているのです。こんな予備知識もなく、面白いお墓があるということだけで、はるばる日本からやってきた私たちは、この話を聞いた時に、日本とイタリアの間を運命の糸で結ばれていたような気がしました。


スカルパが設計したブリオン・ベガ墓地は、ほんとうに素晴らしい。樹木と芝生と水とRC建築の組み合わせ、アールデコ様式の幾何学模様を取り入れたディテール、遊び心あふれるアイデア。現代社会で霊園開発を行っている私たちからしてみても感心したり驚いたりの連続です。1969年に設計がはじめられたブリオン夫妻のお墓の前には、ふたつの水盤がつくられています。ひとつの水盤から水が湧き出て疎水に流れ込むようになっていたのですが、ブリオン夫人が亡くなった2002年に、もうひとつの水盤にも水が通されたそうです。また、スカルパは、墓地の中に芝生広場をつくっています。ここは将来、子供たちが遊ぶ場所にしたいと話していたそうです。時の流れとともに起こりえることを想定した環境のつくり込みです。ひとつのストーリーに基づいて、ゆっくりと環境が姿を変えて行くのです。これは、私たちが霊園開発を考える時に最も大切にすることです。今から37年前に設計が始まった墓地にも、この考え方が取り入れられていたことは、私たちにとって驚きであり、うれしい発見のひとつでした。


ブリオン・ベガ墓地では、もうひとつ、うれしい発見をしました。礼拝堂へ続く道から芝生広場に上がる階段ですが、面白いデザインがされていました。一見上がりにくそうなのですが、人の歩幅を考えてあるため、とても上がりやすいのです。それと、階段を上がる時の足音が音階になって響くのです。スカルパは、子供たちが芝生広場に遊びに行く時に、この音を楽しむ姿を思い浮かべていたのでしょう。ブリオン・ベガ墓地では、才能のある人間が、お墓というものに真剣に取り組むと、万物を調和させながら、ひとつのストーリーの中で、時の流れとともに変化して行く環境をつくりだしてしまうことを目の当たりにしました。日本で亡くなったスカルパのお墓は、この墓地の片隅にひっそりとたたずんでいます。スカルパは、自分自身もここで眠ることをストーリーの中に入れていたかのようですね。

スカルパのブリオン・ベガ墓地は、ほんとうに凄いです。でも、遠い!!町から町を車で走り抜けて行くのですが、だんだん家が少なくなって、大きくなって、農場になって行くのです。そして、最後はイタリアの田園風景が広がります。「ほんとうにあるのかな?」という気になりますよ。でも、墓地には陽気な管理人さんがいます。イタリアの気の良いおじさんという感じの方で、私たちが行った日も、グラッパ(ワインの搾りかすからつくる強いお酒)の仕込みをしているということで良い顔色でした。墓地を締める時間までいてくれたら、自慢のグラッパを持って来るから一杯やろうと言ってくれましたが、ここで呑んじゃうとベニスまで帰れないからとお断りすると残念そうでした。次回は、いよいよヨーロッパ霊園視察旅行の最後の都市、パリです。個人主義と階層社会が確立されている、歴史と芸術の都パリのお墓事情。どんな話が飛びだすか楽しみにしておいてください。
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by ohakadesign | 2010-04-10 07:58 | ❏お墓のデザイン・世界
2010年 04月 10日

カルロ・スカルパ考 by古谷誠章NOBUAKI FURUYA

2005 東西アスファルト事業協同組合講演会より
「ブリオン家の墓地」

ここはひと区画の敷地の中では新築と言えますが、周りには共同墓地があって、村の並木道が続いています。ひとつながりの環境に対する増築であるということにおいて、スカルパにとって他の仕事と差がなかったと言えます。

夫婦の墓がL字型の敷地の中央に配されています。エントランス正面の双子の丸窓は、村の並木道から共同墓地を通り抜けた突き当たりに位置します。この丸窓は人を通そうとしているのか、止めようとしているのか分かりません。肉体だけはここで停まって魂だけは通り抜けろと言っているように解釈することもできます。エントランスから入って右手に折れたところにある水門のデザインは工芸的な手の込んだディテールです。

水の中に浮かぶように礼拝や瞑想のための小さなパビリオンが建っています。ここで人が立って見るのと座って見るのとでは目の前の光景に違いが出ます。立つと、上からは壁がおり、下からは塀が立ち上がり、その中で完結した世界ができ上がっています。それに対し、座ると風景は広がります。立つと、目の高さに対する配慮は横の塀にまで及んでいて、丸窓の高さも揃っています。

目の高さにあるということは透視図の描き方と同じで、目の高さは水平線の位置日消失点になります。水平線の位置にある塀より上にとび出ているものは見えて、下にあるものは隠れます。つまり、ここでは教会の塔は見えて、庶民的な家は見えなくなります。そういう巧妙な仕掛けをしています。

エントランス、夫婦の墓、親類の墓、共同墓地との境の塀、塀の向こうに見える教会などいろいろなものが並んでいます。ひとつとして同じものがないけれど全体が統一された落ち着いた空間ができ上がっているのが、最も私が感心しているところです。全部お揃いにして調和させるのは簡単です。形を同じにしたり、同じ色にしたり、同じ材料にしたり、何かを統一させて調和させることは簡単ですが、統一しないで調和させるのは難しいことです。下手なサッカーチームでも全員が坊主頭にして同じユニホームを着ていると強く見えたりしますが、これがもし体型もユニホームもバラバラだったら絶対勝てないようなチームになってしまう。スカルパの優れている点は全部バラバラなのにそれが統合されてひとつの調和をもたらしているということです。これこそが私たちがつくらなくてはならない都市や街の景観のひとつのヒントだと思います。今の時代に私たちがいかに都市景観をよくしようとしても、すべての人が同じ種類のコードでものをつくることは不可能です。そうではなくて、それぞれが違う個牲を持っているのにそれが並んでもかつ調和する方法を探さなくてはいけないと思います。
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by ohakadesign | 2010-04-10 07:56 | ❏お墓のデザイン・世界
2010年 04月 10日

スカルパの墓「ブリオン家の墓」

http://www.mamochin.com/brion/index.html より引用させていただきました。
詳しくは上記URLを訪問してください。

■背景
ラジオの修理工から身を起こし、一代で特異な電機メーカー、ブリオン・ヴェカ゛社を築たジュゼッペ・ブリオン。彼の死を弔い、ブリオン家墓地が生地であるヴェネト地方トレヴィーゾ近郊のサン・ヴィート・ディ・アルティヴォーレに建設されることになった。ブリオン・ヴェガ社は、その製品のデザインをはじめ、工場の建設にもイタリアの著名なデザイナーを起用し、デザイン思考の強いメーカーとして独自の地位を築いたが、墓地の建設に際してもカルロ・スカルパに依頼することになった。
ブリオン家墓地の設計は、1969年に故ジュゼッペ・ブリオンの婦人オノリーナ・ブリオンの依頼によって始められた。
施主(ブリオン)は特にこだわりのない人だった為、この墓地に彼の建築言語すべての収録を許した。

→「これは長所も短所も全てが現出したスカルパの貴重な集大成であり<隠喩としての記念碑>というべき建築である(マッツァリオール)」

共同墓地内の北東の角68・から共同墓地の北東の2200・へ拡大

広大な敷地の合理化
チャペルの併設
これでもまだ大きすぎるように見えたので

周囲に壁をめぐらせる
組積造からコンクリート打ち放しへ
■機能構成

1.入口棟:Propylaeum(プロパイロン)

・軸~200・続く糸過ぎの並木道の軸を受け継ぎその正面に二重円のモチーフを 
・二重円~目とその二つの視界が融け合っていることを象徴する二つのお互いに噛み合った円がくり抜かれており、敷地の境をなす傾斜した壁面を望んでいる。
 眼:近づくものを見据え、風景を切り取る
 夫妻たちの愛

2.パヴィリオン:Pavilion

「これは、私の作品の中で快く赴ける唯一のものです。ここは、自然が美しく庭園のようであり、池の中のパヴィリオンは私のために作ったもので、瞑想のためしばしばそこに出向きます。」
・広大な敷地のため、ここで人は初めて自分の領域を感じることができる
・パヴィリオンの領域を分節する装置
 ・ガラス製の透明上げ下げドアの仕組み
 ・ケーブル
 1本のケーブルを4本にして折り返す。地面から約30・のところに位置し、アルディラ(彼岸)の表現である(心理的な結界)

3.ブリオン夫妻の墓:Tomb Of The Brions

・モチーフはアルコソリウム(Alcosolium:ラテン語で初期キリスト教時代のカタコンベ、重要な人物、殉教者が葬られた場所)
・地面より下がったところに墓石がある
  棺は地面の近くに置かれるよう求められる
  →`死者は大地へ帰す´という伝統に則る        
・寄り添う2つの墓     
 ~2人の子供がきたときに親の温もりを感じられるように石碑の内側には木(黒檀とチーク)が使われている。
 ~互いに愛し合った二人が死後においても互いに声を掛け合うようにできるよう配置されている
・アーチの下に色を塗る代わりにモザイクタイルを用いる→ヴェネチアの伝統とは別の解釈を用いる
・床は、水盤になる予定だったためにその名残が残る

4.親族の墓:Tomb Of The Brion Family

・他の平面的な構成とは対比的に、強烈なマッスが初期の段階から見られる
・外部と内部のレベル差、トップライトからの光、30゜の回転

5.チャペル:Chapel

・敷地は国有地で一般の人のためのもの
 =この家族も共用する権利を持っているに過ぎない
・上からの光が空間を充満(内部要求)
 ←→共同墓地との調和(外部要求)に多くを時間を割く
・Dominantな関係の回避
 ・クーポラの扱い
 ・コーニスの様なギザギザとして分割
・教会のクーポラのように上方から光が舞い込んできて、伝統的なあり方に従う

6.糸杉の庭:Priestユs Cemetery(修道士、修道女のための埋葬の場)

牧師が模型を始めてみたときに「これがたった一人のためのものですか」続けて「かわいそうな牧師のために何かないのですか」といった

・糸杉の意味と配置
  糸杉は、喪を表し、ヨーロッパ原産の常緑高木で街路樹にしたりする。また、ゴッホの絵でも有名。
  地面を10・下げたところに9、5・の高さになる11本の糸杉を水と共に配置した

7.聖具室:Sacristy
8.カルロ・スカルパの墓:Carlo Scarpa'S Tomb
 ~トビア・スカルパ(息子)による設計
9.掘り抜き井戸:Artesian Well
10.泉:Spring

■スカルパによる死の解釈

現代のイタリアのほとんどの墓はちょうど靴屋で見るような箱のようなもの(火葬)で、死者をエレベーターで持ち上げる墓地すらある(後にアルド・ロッシが手がけることになったモデナ市の墓地の依頼を断る)
                 ↓
「これ以外に市民社会の中で、死にゆく方法があるのでは?」
更に、「うたかたの人生においても死がどのような意味を持つのかを示すこともできるのでは?」
                 ・
現代の法律が死者を直立した姿勢で、しかも、古代のように包んで埋葬することを許すべきなのである。(遺言より、スカルパは立ったまま埋葬されている)
靴箱に収まるくらいなら別の方法を考えるべきだ

■共同墓地への配慮

~スカルパは、共同墓地に対して細心の注意を払っており、ブリオン家の墓地と村の共同墓地との間にDominat関係をつくらないように計画されている
・プロパイロンと壁の高さ
・チャペルの作成とその外壁の高さ
・周囲を囲む共同墓地とブリオン家墓地の外壁の高さ

■全体の統合のために

 ・材料の単一性
 ・装飾的要素を取り入れる
 ・水
 ・周囲を囲う壁

■スカルパの建築の特徴

・自立した部分や断片によるアンサンブルの調和(→・へ)
・土着性と共に歴史的コンテクストの重視
・装飾的要素を取り入れる~緩く全体を統合するという機能をもつ
・観念よりもつくられたもの自体の質・内容の重視~職人気質
・「未完」という感覚~常に時間的な要素が組み込まれており、時を経るごとに完成してゆく

■参考文献
《現代の建築家》Carlo Scarpa・・/鹿島出版会
A+U Carlo Scarpa カルロ・スカルパ作品集 1985・10臨時増刊号
Carlo Scarpa/Taschen
Calro Scarpa The Complete Works/Francesco Dal Co+Giuseppe Mazzariol/Electa・Rizzoli
Ga グローバルアーキテクチュア#50 <カルロ・スカルパ> ブリオン=ヴェガ墓地/A・D・A Edita Tokyo
カルロ・スカルパ/A・F・マルチャノ編 濱口オサミ訳/SD選書207 鹿島出版会

■ブリオン家墓地へ行かれたい方へ
検索エンジンを通じてか、わたしのところにブリオン家墓地への行き方を尋ねてきてくれるかたが、ぼちぼちいます。はずかしながら、わたしは実際にブリオン家墓地にはいったことがありませんので(笑)、長村さんのサイトをご紹介します。

-architect office- Strayt Sheep
http://web1.incl.ne.jp/nagamura/04archi/StraytSheep_archi_scarpa.html

上記ページでは、地図画像もありますので、わかりやすいかとおもいます。その他、トップページからたどるとコンテンツがたくさんありますので、是非ごらんになってみてください。
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by ohakadesign | 2010-04-10 07:44 | ❏お墓のデザイン・世界